2016/05/18
フランス産バラ「絆」ご存知ですか?開花を迎えます!!
生野銀山をはじめ生野町にフランス産バラ「絆」が植樹されています。この「絆」は、東北大震災支援のため2012年にフランスの育種家ドミニク・マサド氏より日本に贈られたものです。このバラのルーツは、<銀の馬車道>の設計者であるレオン・シスレーが明治初期に、生野町からフランスへ送ったノイバラの種子にさかのぼります。150年の時空を越え<銀の馬車道>の起点地を持つ生野町に里帰りしたのを記念に植樹されたものです。
この「絆」が開花を迎えます。
アプリコットピンクからオレンジの花色、フルーティーな香りが特長です。
生野銀山や生野町にお立ち寄り、シスレー縁のバラ「絆」をご鑑賞下さいませ。
<銀の馬車道>は正式名称を「生野銀山寮馬車道」と言い、フランス人技師の指導の下、明治9年に生野銀山〜飾磨津(現姫路港)の間、約49キロを結ぶ馬車道専用道路として作られました。雨などの天候に左右されず、馬車がスムーズに走行できるように、当時としては最先端の技術が用いられ、“日本初の高速産業道路”と言われています。
参考資料 NPO法人いくのライブミュージアム シスレー縁のバラ「絆」
銀の馬車道ネットワーク協議会 銀の馬車道
写真は5月18日(水)9時に撮影
2016/04/28
五代友厚と生野銀山
NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』で一躍注目を浴びる五代友厚は、生野銀山でもフランス人技師を明治政府に紹介して生野銀山の近代化に貢献したとされています。
五代友厚と生野銀山について、「明治以降の生野鉱山史」に下記の通り記載されています。
場内を見学いただくとき、近代化に携わった人々の熱い想いに心を馳せていただくもよし、火薬の爆破で空けられた近代坑道と江戸時代の手掘り坑道を見比べていただくもよし。お読みくださった方がより銀山を楽しむ際の一助となれば幸いです。
【コワニエの雇用】
生野銀山は明治元年我が国最初の官行鉱山となったものの、作業環境の悪化などで極度の不振が続き、休山同様の状態であった。明治政府は、現状の打開のため、薩摩藩が雇用していたフランス人土質家フランソワ・コワニエに着目、薩摩藩と譲り受けを交渉、招聘が正式に決定し、政府の鉱山関係雇入れ外国人の第一号として生野派遣となった。
コワニエ招聘の影で活躍したのは五代友厚であった。
【コワニエ生野派遣の経緯】
鉱山局は当時大阪にあり、コワニエの薩摩藩雇用に尽力した五代が大阪府判事の要職にあったことから、鉱山局と五代との間には緊密な接触があり、更に新政府の参与井上馨の強力な推薦もあり、コワニエ政府雇用の折衝が五代によって急速に進められた。その結果、新政府最初の外国人鉱山技師としての雇用が決定した。
コワニエは、生野銀山の建設計画を立案建議し、採鉱、選鉱、製錬の機械化を進め、近代鉱山としての発展の基礎を完成させました。
また、五代と共にイギリスに派遣され、コワニエと生野入りした朝倉盛明は、鉱山長を務め、生野銀山中興の功績は大きく、朝倉なくしてコワニエなく、コワニエなくして朝倉は存在しないと言われています。
引用文献:「明治以降の生野鉱山史」
写真はフランソワ・コワニエ像とノムラモミジ 2016年4月28日(木)11時撮影
2016/04/23
「ノムラモミジ」について
新緑の季節を迎えて、生野銀山の場内では様々な種類の草木が芽吹き、連日多くの皆様にお楽しみいただいております。
今回ご案内させていただきますのは、花ではなく紅葉真っ盛りの「ノムラモミジ」です。今頃紅葉?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この「ノムラモミジ」は春先に新葉をつけたときからきれいな紅色をしており、夏頃に一旦緑になるものの、秋になりますと再び紅く染まるという季節の流れを楽しむことができる人気の品種です。また、その紅色がとても濃いことから、「濃紫」が縮まって「ノムラ」の由来になったという説もあるほど。
秋の紅葉時より今の季節の方が赤みが濃く鮮やかなことから、一年の内で今がもっともきれいなシーズンでもあるのです。
当銀山の場内では他の新緑の中、美しく映える姿をお楽しみいただけます。
お越しの際は是非この「ノムラモミジ」のご鑑賞もお忘れなく。
写真は4月23日(土)10時に撮影
2016/04/22
八重桜満開のお知らせ
生野銀山の八重桜が満開となりました。
正門前にて紅白の花が皆様のご来場をお待ちしております。
写真は4月22日(金)9時に撮影
2016/04/21
「ひかげつつじ」状況のご案内
毎年多くの皆様に楽しんでいただいております「ひかげつつじ」は見頃を過ぎ、すべて落花いたしましたのでお知らせいたします。
ご来場いただきました皆様に心より感謝申し上げます。
来年もこのホームページにて随時情報を配信いたしますので、ご確認をお願いいたします。
職員一同